「さん、さん、危ないわよ」
えっ?と言う表情で、そんな注意の声に気が付いたときには既に遅かった。
彼女、の身体は前のめりになり、そのままバタッと転んでしまう。
そんなドジをしてしまったを呆れた表情ながらも、手を差し伸べ、服についていた汚れを払ってやっている有沢志穂はため息をつきながら考える。
彼女は自分と違って運動神経も抜群なわりに、少しばかり抜けている所があり、何もないところで転ぶことも今始まったことではない。
しかし、確かに昔からではあったけれど、最近、自分達にとっての最後の文化祭が終わった辺りからは特にひどい。
は何も言わないけれど、考えていること、思っていることがすぐに表情や態度に出てしまう彼女なので志穂には原因は手に取るようにわかっていた。
文化祭のときに、と共にいた男だろう。たしか、羽ヶ崎学園の天童壬と言っただろうか。
文化祭以前は校門前まで頻繁にを迎えに来ていたが、文化祭の日を境にぱったりとその姿を見せなくなった。
志穂は以前、何度かに忠告していた。
「彼といると、そのうち痛い目に会うわよ」
その時、は「天童くんは見た目ほど悪い人じゃないよ」と、微笑んでいたのを思い出す。
は人を外見で判断することはしない。
人の本質を見る能力は大変優れている。それは3年近くも一緒に居る志穂にはよく分かっているのだ。
むしろ、そんなに一番感謝しているのは志穂自身であったから。
他人からは取っ付きにくいとか怖いと思われてる志穂も、一人でいたいと思っていたわけではなく、ただ単に照れ屋で人見知りが激しいだけ。
そんな自分のことを分かってくれ、いつも笑顔で話しかけてくれたのがなのだ。
の人を見る目は確かだ。それは志穂の折り紙つきである。
彼女が「悪い人じゃない」と言うのなら、天童壬というあの男、信用しても良い人間なのだろう。
しかし志穂が心配しているのは、そのことではない。
進学校で、かつスポーツ名門校でもあるはばたき学園にあっても、はいつも学年一桁と言う成績優秀者で、さらに運動神経も抜群なのだ。
回りの人間にとって彼女は「はば学の期待の星」である。
かたや天童は、お世辞にも良い学校とは言えない羽ヶ崎学園の生徒で、さらに言うなら問題児なのだ。
いくらが天童をかばったところで、周りの目はかなり厳しいのはわかりきっていた。
「をたぶらかす男」としか見られない。
それはにとっても天童にとっても、とても悲しいことで傷つくことなのだ。
だから彼女に天童とのことを深入りしてほしくなかった。
天童はともかく、が傷つくことを志穂は避けたく、彼女が本気になる前にどうにか手をうちたかったのだ。
しかし今、その心配が現実のものになってしまったのだろうか。
お互いが想いあっているだけでは、うまく行かないこともあるということなのかもしれない。
そう考えて志穂はまたため息をつく。
「お茶して帰りましょう。おいしいハーブティーを出すお店を見つけたのよ」
憂さ晴らしにでもなればと期待をこめて、彼女の相談役を買って出る志穂であった。
「あはは。なんだ。有沢さん、そんな心配してくれてたんだ〜」
なんとも楽しそうに笑うを見て、志穂はあっけに取られ、すこしむっとする。
そんな志穂の心情を感じ取ったのか、少しばかり慌てたようには再び口を開く。
「心配させちゃってごめんね。心配してくれるのはすごく嬉しいんだけど、でも、なんていうのかな?そういうのとはちょっと違うの」
「違う?」
志穂はの言葉に意味が分からず、反復してしまう。
「う〜ん。天童くんから、もううちの学校には来ないって言われちゃったの。でもね、うまく言えないんだけど、有沢さんが心配してくれてるようなことじゃなくて、天童くんが本気で勉強するためって言うのかな?悪い意味じゃ全然なくて・・・」
は少しだけ、息を継ぎ、ゆっくりと、また話しだす。
「私が少し寂しいだけなの。お互いのためだと分かっているんだけど、すごくすごく会いたいだけなの。気が付いたら天童くんのこと考えちゃって。そんなことじゃダメだって分かってるのに。天童くんに申し訳ないと思うのに・・・」
大きな瞳にうっすらと涙をためながらも微笑む彼女をかわいそうと思うと同時に、お互いのことをしっかりと考えて素直に想い合える二人を少しばかり羨ましくも感じる。
自分の心配は本当に杞憂だったのかもしれない。
二人は・・・少なくともは周りの反応など全く気にもしていない。
見返りもなにもないはずなのに、ただただ天童に会いたい、そんなまっすぐな、ひたすらにまっすぐな心を応援したくなる。
「ねぇ。天童くんは『もう来ない』って言っていたんでしょう?」
問いかけの真意が分からず、頭にはてなマークをたくさん飛ばせ小首をかしげるに、志穂はいたずらっぽく楽しそうに笑ってこう言った。
「『もう会わない』と言われたわけではないのでしょう?」
その言葉の意味に気が付いては、はっとなり勢い良くあげた顔はとてもとても輝いていた。
「明日、神社に合格祈願のお守りもらいに行かない?さんの分と私の分と、そしてもう一つ。」
「うん!行く!行きたい!」
志穂からのお誘いに、間髪入れずに元気良く頷くの瞳には先ほどの涙の影すらない。
の分でも志穂の分でもない、もう一つのお守りを持って、天童に会いに行けばいい。
それくらいなら、たぶん神様だって許してくれる。
―――有沢さん、ありがとう―――
それはの心からの感謝の言葉。